運を引けば宿命が生かされる

母に抱かれた私、ひとつ上の兄、後に養母となる叔母。

12月生まれなので、まだ一歳前、父が撮った写真だろうか?

14ヶ月で、父は他界した、女の子の育たない家に私が育ったので、父が死んだ。

そんな事を言う人も居たと、母から聞いた記憶があります。

兄は跡取りとして、大事に甘やかされ、私はほって置かれたように育ちました。

 

戦後の農地改革で田畑を手放し、百姓としての生活は厳しかったよう、

現金収入は、お坊ちゃん育ちの祖父が、自分で使い放題、

農閑期に肉体労働に出れる、稼げる男性が居ませんでした。

 

行動的な性格は母に似ましたが、エコロジー的な生活は養母から学びました。

薪のお風呂に、釜戸のご飯、茅葺の家に井戸水、

関東大震災で傾いたままの家は、障子が閉まらず、隙間風の入る寒い家でした。

手仕事好きな養母と、新し物好きな母は、相性が良くありませんでした。

私の質素倹約は、子供の頃に身についた、養母の教えと感じています。

 

世間が物質的に豊かに成ると、時代から遅れているように感じ、

父親が居ないことが、恵まれない事のように思い、夢が持てませんでした。

中学卒で働いて、自立するのが希望でしたが、手段が分からず、

成績も良かったので、街の高校へ行き、卒業後に上京しました。

 

貧しかったとは言え、農家ですから食べる物には困らず、借金も無く、

ただ物質的な豊かさが無いので、物を買う事の少ない暮らしでした。

 

そんな私が、長門裕之・南田洋子夫妻のお手伝いさんに成り、

贅沢な暮らしを体験し、貯金をしてカナダへ行き、ご縁あって紹介されたのが、

映画グースのモデルに成ったBill&Paula Lishmanの家でした。

この出会いがなければ、ニット作家の道は無かったと思います。

 

その後もヨーロッパ、エジプト、アジア、オーストラリアを旅して、結婚・出産。

十津川村へ移住して25年目に成ります。

 

幼児期の環境に似た田舎暮らしは、宿命に感じます。

私の実家は本家で、私が25歳の時に分家の娘さんが亡くなりました。

食の考え方を拒否していた母が、移住した翌年に亡くなり、

西丸震哉さんの41歳寿命説のように、兄が亡くなり、

大学を卒業して、実家に戻った姪が25歳で亡くなり、

畑仕事で土をいじり、粗食で手仕事をしていた養母が、92歳まで生きた。

私は因果とか、自分が生かされている意味とか、考えるように成りました。

 

PTA会長をして、世間とか教育行政、政治にも関心を持ち始めました。

好きな事を仕事に出来ても、現金収入は必要です。

このまま十津川村で暮らしても、思い描くような未来は遠いので、

再度、移住しようと行動に出ました。

 

私の行動が、運を引き寄せるかどうかは、分かりませんが、

過疎の閉鎖社会のお蔭で、古き良さも少し理解できたと思うし、

アメリカンナイズしたままでは、作家としての精神も持てなかったと思います。

 

“運は誰にでも流れているけれど、掴める人とそうで無い人が居る、貴方は掴める人だから、明るく前を向いてなさい”

南田洋子さんに言われた言葉を、思い出します。

 

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